小笠原だいすけ
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-吸ひさしの 煙草(たばこ)で北を指すときの
北暗ければ 望郷(ぼうきょう)ならず-
この短歌は、青森出身である劇作家の寺山修司が詠んだものです。
青森から上京した寺山は、どのような思いでこの歌を詠んだのでしょうか。
幼い頃から、テレビや映画、本などで見聞きしていた東京。漠然とした憧れがありました。キラキラした東京へ行きたい!高校卒業後は、東京の大学へ進学、上京という願いが叶ったのでした。果たして東京は、経済も文化もそれは早いスピードで回っていて、キラキラしていたのでした。
しかし東京で過ごしていく中で、どうしてこの東京ばかりが煌(きら)びやかなのだろうという疑念が、頭をもたげるのでした。地方と都市の、青森と東京のこの格差。
そして、2011年3月11日。
東日本大震災が起こりました。
この災害、事故の影響は10年以上経ったいまでも、収束しているとは言い難いです。
この東京一極集中の状況は、いったいなんなのか。
奈良時代にはじまり今日にいたるまで、ずっと言われもなく攻められ、必要とあらば食料や労働力を供給し、不都合なものを押しつけられ、中央から奪われてきた東北。
どうして東北ばかりが、青森ばかりが苦しい思いをしなければいけないのか。
奪われてばかり、いったい私たちが何をしたというのか。
ぶつけようのない悔しさばかりが募っていきました。
そうした思いの中、大学卒業後は地元に就職し、少しでも青森へ貢献できる力に、変えていける力になれればと考えました。
しかし、会社員としてたくさんの青森の人々と関わりながらも、このままでよいのかと、心にはわだかまりが残っていました。
青森の未来の舵取りには、やはり政治の力が必要だ。
ここからはじめるしかない。いま、立ち上がるしかないと、決意しました。
政治への失望を失望のままにしてはいけません。可能が不可能になってしまいます。声をあげれば、少しずつでも、必ず変わります。
誰かがバラ色の世界を与えてくれるわけではないのです。みんなで創るしかないのです。
そして青森の人々の願いや、希望、思いを、カタチにして届ける役目として、小笠原大佑は立ち上がります。そのための力を貸してください。
青森が変われば、社会全体が変わっていくのです。
未来ある青森を、私と、あなたたちの力で、ともに創りあげていきましょう。